2016年11月8日火曜日

ジュリアン・アサンジ、ジョン・ピルジャーによるインタビュー抜粋:ヒラリー・クリントン大統領候補

以下は2016年11月5日にグローバル・リサーチに掲載された、ジョン・ピルジャーによるジュリアン・アサンジのインタビュー、「米国選挙の秘密(Secrets of the US Election)」の中で、ヒラリー・クリントンについて述べられている部分を抜粋して訳したものだ。このインタビューはロンドンのエクアドル大使館で行われた。

オリジナルインタビューの動画と、その英文の写し
 http://www.globalresearch.ca/secrets-of-the-us-election/5555141

ジョン・ピルジャー:

これらの(ヒラリーの)Eメイルは、資金のための接見と、そこから彼女自身がどのように利益と政治的優位を得てきたかを証拠づける驚くべきものだ。カタールの代議士が100万ドルの小切手でビル・クリントンとの5分間の面会をしたことを思い出していたんだ。

ジュリアン・アサンジ

モロッコからは千200万ドルだった...

ジョン・ピルジャー

そう、モロッコから千200万ドル。

ジュリアン・アサンジ

ヒラリー・クリントンに(パーティーに)出席してもらうのにね。

ジョン・ピルジャー

これらのEメイルが暴いた最も重要な点は米国の対外政策であり、中東においてヒラリー・クリントンがISILの聖戦主義の基盤と直接つながっていることを明らかにしたことだ。ISILの聖戦主義者(ジハーディスト)と戦っているはずの人間が、実際はそれ(ISIL)を生み出すのに手を貸していたという関係を、これらのEメイルがどのように証明しているか話してくれないかな。

ジュリアン・アサンジ

2014年初旬、ヒラリー・クリントンが国務省を去ってから間もないころ、彼女が選挙戦マネージャーのジョン・ポデスタに宛てたメールで、ISILはサウジアラビアとカタールの政府から資金を受けていると述べたものがある。これは、すべてのメールのなかで最も重大だ、というのも、サウジとカタールの資金はクリントン基金の隅々までいきわたっているからだ。米国政府ですら、サウジの人物の幾人かがISIL/ISISを援助していることを認めている。ただ、いつもそれは、サウジのならず者王子の数人が石油収入の分け前を使って好き勝手をしているが、サウジ政府は(そのような行為を)認めていないのだ、という言い逃れをしてきた。このメールは、そうじゃない、サウジとカタールの政府がISISに資金を与えてきたのだ、と言っている。

ジョン・ピルジャー

サウジアラビア、カタール、モロッコ、バーレーン、特にサウジとカタールは、ヒラリー・クリントンが国務長官で国務省が膨大な武器販売、特にサウジアラビアへのものを認可していた時に、これらのすべてのお金をクリントン基金に与えていた。

ジュリアン・アサンジ

ヒラリー・クリントンのもとで、今までで世界で最大の、サウジアラビアに対する8千万ドルを超える(価格の)武器取引が行われた。実際、彼女が国務長官であった間に、ドルで換算して米国からの武器輸出総額は二倍になった。

ジョン・ピルジャー

その結果はもちろん、クリントン基金に資金を与えている同じ人物のお金を主としてISILまたはISISと呼ばれる悪名高きテロリストが作り上げられたということだ。

ジュリアン・アサンジ

そう。

ジョン・ピルジャー

驚嘆すべきことだ。

ジュリアン・アサンジ

実際、ヒラリー・クリントンのことは、人として気の毒に思うよ。己の野望によって生きながら浸食され、文字通り病気になるほど苛まれ、野望の結果(その反応として)失神するまでになった人物だから。彼女は一連の人物のネットワークと特定の国々の関係ネットワークを代表している。問題は、ヒラリー・クリントンがこの広範囲なネットワークのどこに位置しているかということだ。彼女は中心化された歯車の歯だ。色々な歯(ギア)、例えばゴールドマン・サックスのような巨大銀行の数々とウォール街の主要な要素、諜報機関と国務省の人々、そしてサウジなどが存在する。

彼女はこれらの様々な歯車を結びつける中心化装置だ。彼女はこれらすべてをスムーズに中央で代表している。「これらすべて」というのは、現在米国で権力の座にあるものと大体同じ意味だ。それは、いわゆる権力複合体(エスタブリッシュメント)とかワシントン合意(コンセンサス)と呼ばれるものだ。公表されたポデスタのメールで最も重要なものの一つは、オバマ大統領顧問団がどのように組織され、その閣僚(と閣僚級高官)の半分が要するに、シティバンクの代表によって指名されていたかについてだ。驚かされる内容だ。

ジョン・ピルジャー

シティバンクがリストを渡さなかったかい?

ジュリアン・アサンジ

渡した。

ジョン・ピルジャー

それがオバマ顧問団のほとんどのメンバーとなった...

ジュリアン・アサンジ

そうだ。

ジョン・ピルジャー

ウォール街が合衆国大統領の顧問団(閣僚)を決めているってことかい?

ジュリアン・アサンジ

もし君がオバマの選挙戦を当時つぶさに観察していたのなら、銀行利権と非常に近しくなっていたことが分かったと思う。

だから、ヒラリー・クリントンの対外政策は、サウジアラビアを理解することなしに、きちんと理解できることはないだろう。サウジアラビアとの関係はとても親密だ。

ジョン・ピルジャー

なぜ彼女は、これだけあからさまにリビアの破壊に熱意を持っていたのだろうか。Eメールでリビアで起こったことの何がわかるかを少し話してくれないかな。というのも、リビアはシリアでの争乱とISILの聖戦主義その他の源だし、ほとんどヒラリークリントンの侵略といっていいものだからだ。そのことについて、Eメールはなんて言っているんだい?


ジュリアン・アサンジ

リビアは他の誰よりも、ヒラリークリントンの戦争といえるものだ。バラク・オバマは最初は反対していた。誰が擁護推進していたか?ヒラリークリントンだ。このことは彼女のEメールを通して証明されている。彼女はお気に入りの代理人シドニー・ブルーメンタールに、その方向に向かわせた。我々が公表したヒラリー・クリントンの3万3千のEメールのうち、1700はリビアのみに関するものだ。リビアに安い石油があるから、というのではない。ガダフィを取り除いてリビア国家を転覆させることは、大統領選の候補として利用できるものとみられていた。

それで、2011年の終わりに、ヒラリー・クリントンのために、リビア・チクタク(Libya Tick Tock)という内部文書が作られた。これはヒラリー・クリントンがリビアの破壊で中心的な人物であった様子を経過順に記述してあるものだ。この破壊の結果として、リビア国内で約4万人が死亡し、聖戦主義者、ISISらが侵入し、ヨーロッパの難民と移民危機に至った。

人々はリビアのみから逃避したのではない。シリアからも、そして武器の流入によって不安定化した他のアフリカの国々からもだ。だが、リビア国家自体の免脱で、リビアを通過する人々の動きをコントローすることができなくなった。リビアは地中海に面していて、アフリカという瓶のコルク栓として効果的に機能していた。だから、アフリカでのすべての問題、経済問題と内戦によって逃避した人々は、以前はヨーロッパに行きつくことはなかった。リビアが地中海の警備をしていたからだ。このことは当時、2011年の初期にガダフィが明確に述べている。「いったい、リビアを爆撃して破壊しようとしているヨーロッパ人らは、自分たちが何をやっていると思ってるんだ。ヨーロッパにはアフリカからの移民と聖戦主義者が津波のように押し寄せるだろう。」それが実際起こったことだ。

2016年9月5日月曜日

元ブラックウォーターがシリアでの「政権交代を援助」:ウィキリーク発表


以下は2012年3月21日、シリアでの紛争が始まって約一年後にRTに掲載された、

WikiLeaked: Ex-Blackwater ‘helps regime change’ in Syria

ことができるかだ。」とストラトフォーの対テロリズム副所長のフレッド・バートンに宛てられたEメールで述べられている。

発信源、ジェームズ F. スミスはこの情報が信憑性の高いものであると報じている。彼はSCGの最高経営責任者であり、以前、今はアカデミの名で知られる、悪名高きブラックウォーターの取締役であった。別の通信で、スミスはストラトフォーに、彼が中央情報局(CIA)の経歴があり、「もと国防省、CIA、取締機関職員であった者たちによる会社を率いている。」と自己紹介している。

SCGのシリア反政府勢力との任務は「米下院情報特別委員会のメンバーでノースカロライナ州の共和党議員の「(スー)ミリックからの上空援護」だとされる。この委員会はアメリカの諜報界を監査することを委託されている。このメールでスミスは「リビアで我々が行ったように、反対勢力のメンバーを保護支援するサービスを提供するつもりである」と付け加えている。

レバノンの日刊紙アル=アクバールによれば、スミスはストラトフォーと情報を共有した広範な記録を持つ。この日刊紙はウィキリークがストラトフォーの個人Eメイルを暴露するにあたって情報パートナーとして選んだ報道機関の一つである。

この安全保障請負人は、2011年の反乱時にリビア国民評議会のメンバーに提供したサービスの内部データを渡している。それは、 内戦時に紛失した携帯式地対空ミサイルの捜査や、ムアンマール・ガダッフィ暗殺などを含む。

Eメールの証跡はストラトフォーのメールサーバがハッカーグループのアノニマスによって侵入されたと報告される数日前の12月半ばに終わっている。ウィキリーク告発サイトにEメールが公表され始めたのは2月の終わりで、ハッカーチームから渡されたようである。

米国はSCGのような民間請負会社への依存度を高めており、以前には正規軍が行っていた職務が外部委託されるようになった。これらの「現代傭兵」職員たちは、人身や地域の防衛、情報収集、そしてイラクやアフガニスタンのような国々で新兵トレーニングといったサービスを提供している。

このような慣行を批判するものは、このような会社が説明義務に欠け、政府がその関与を否定しつつ、「極秘作戦(ブラック・オペレーション)」を行うことを可能にすると主張している。

2016年3月21日月曜日

ヒラリーのEメールに見られるリビアでのアジェンダ:金、権力、石油

以下は、2016年3月14日にグローバルリサーチに掲載された、エレン・ブラウンによる

Money, Power and Oil. Exposing the Libyan Agenda: A Closer Look at Hillary’s Emails


しかし、そのビクトリーランは時期尚早であった、とニューヨークタイムスのスコット・シェーンとジョー・ベッカーは書いた。「リビアが無秩序の中で分解し、この地域を不安定化する内戦に発展し、ヨーロッパの難民問題に油を注ぎ、イスラム国がこの国に聖域を打ち立てることを許し、米国は今や必死でこれを封じ込めようとしている中で」国務省はリビアを棚上げにしている。

米国とNATOの介入は、大規模な残虐行為が報告されたことで人道的見地から行われたとされているが、人権団体は証拠がないことを発見してから、その主張に疑問を唱えだした

今日、検証できる残虐行為が起こっている。ダン・コヴァリックはハフィントンポストで、<リビアでの人権状況は悲惨なもので、「数千もの(子供も含む)拘留者が適切な司法審査のないまま刑務所の中で朽ちており」、「誘拐と暗殺が激発している」>と書いている。

2011年以前、リビアは自国の水、国産の食料、石油、貨幣、そして国有銀行によって経済的独立を達成していた。カダフィの元で、最も貧しい国のひとつであったリビアはアフリカでもっとも裕福な国へと成長した。教育と医療は無料であり、家を持つことは人権とみなされ、リビア人は独自の地域民主制システムに参加していた。この国は,大人工河川計画という、世界で最も大規模な灌漑システムを誇っており、これは砂漠から水を都市と海岸部に引くというものだ。カッダフィはこの様式をアフリカじゅうに広めるプログラムに着手し始めていた。

しかしこれは、米国とNATO軍がこの灌漑システムを爆撃し、この国を完全に荒廃させる前のことだ。現在状況があまりに劣悪なので、オバマ大統領は顧問にリビアでの新たな軍事戦線を含む選択肢を策定するよう求め、国防省は「要請された全範囲の軍事作戦」に出れるよう待機していると報告されている。

もしも、これが公式に掲げられた人道的介入という目的だというのならば、確かに国務長官のビクトリーランは時期尚早といえるだろう。しかし、彼女の新たに公表されたEメイルはリビア戦争の裏の別の課題を明らかにしており、この点については、目的が達成されたようだ。

任務完了?

2015年12月の終わりに公表されたヒラリー・クリントンの私用Eメールサーバーからの3000のEメイルのうち、三分の一ほどは彼女の腹心であるシドニー・ブルーメンタールからのものだ。彼はモニカ・ルインスキーの件で彼女の夫を弁護した弁護士である。それらのEメイルのひとつで2011年4月2日付けのものの一部には次のようにある。

カダフィの政府は143トンの金を保有しており、銀もそれと同じくらいの量である...この金は、現在の反乱以前に蓄積されたもので、リビアの金のディナールに基づく汎アフリカ通貨の創設のために使われる予定であった。この計画はフランス語使用のアフリカの国々に、フランスのフラン(CFA)以外の選択肢を与えるものだった。

機密解除になった元のEメールの「発信源コメント」の中には次のように加えられている。

情報通の人々によれば、これだけの量の金と銀は70億ドル以上の価値がある。フランス諜報員らは、この計画を現在の反乱が始まった直後に発見し、これがニコラ・サルコジ大統領のリビア攻撃に関与するという決断に影響した要因のひとつだった。これらの人々によれば、サルコジの計画は以下の課題に突き動かされていた。
    1. リビアの石油生産により大きなシェアを得たいという欲求。
    2. 北アフリカでのフランスの影響を増大させる。
    3. 彼のフランス国内での政治状況を向上させる。
    4. フランス軍に世界での地位を再主張する機会を与える。
    5. カダフィの、フランス語使用アフリカでのフランスの覇権に取って代わる長期的な計画に対して、彼の顧問が憂慮していることに対処する。
       
人道的な関心についてはなにも触れられていないことがはっきりしている。目的はお金、権力、そして石油だ。

これ以外にも、 新たに公表されたEメールの物議をかもす内容は調査ジャーナリストのロバート・ペイリーによって詳しく述べられている。それらには、反政府勢力による戦争犯罪、抗議活動が始まったころには特殊作戦の訓練者がリビア国内にいたこと、そして米国に支援された反対勢力にアルカイダが組み込まれていたこと、などが承認されている。暴力的な介入のための主要なプロパガンダの題目が、単なる噂でしかないことも認められている。ペイリーは、これらがブルーメンタール自身によって発信されているのではと書いている。それらの中には、カダフィがバイアグラを彼の兵士たちに配布する「強姦政策」を採ったという奇妙な申し立ても含まれる。この非難は後に国連大使のスーザン・ライスが国連での発表で取り上げた。パイリーは言葉巧みに、次のように質問した。

では、オバマ政権がリビアの「体制変革」にアメリカの人々の支持を取り付けるためには、フランスがどれだけリビアの富を盗むことを欲し、アフリカでのフランスの新植民地的影響力を維持したいかを説明するより、カダフィがバイアグラを彼らの兵士たちに渡して、より多くの女性を犯せるようにし、その間狙撃者らが罪のない子供たちを標的にしているというプロパガンダのほうが、アメリカ人はよりよい反応を示すと思いますか?その通り!

世界金融体制をひっくりかえす


カダフィの、独立したアフリカの貨幣を設立するという脅威の試みは、欧米の勢力から軽くは受け止められなかった。2011年にサルコジはリビアの指導者を、世界の金融安全保障に対する脅威と呼んだ、と伝えられている。どうやったらこの人口六百万人の小さな国がそのような脅威になりえるのか?まずは背景をすこし述べる。

イングランド銀行が最近認めたように、欧米の経済では政府ではなく、銀行がほとんどの貨幣を作る。これは、「部分準備」貸しという過程を通して数世紀にもわたって行われてきたことだ。もともとは、準備金は金であった。1933年にフランクリン・ルーズベルトが国内では金を中央銀行が作った準備金に換えたが、国際的には金が準備通貨であり続けた。

1944年に、ニューハンプシャーのブレトンウッズで、このように銀行によって作られる貨幣システムを世界的に統一するために国際通貨基金(IMF)と世界銀行が設立された。国際通貨基金の決定では、どの紙幣も金の裏付けをされることはないとある。利子つきの負債として個別に作られた通貨供給量は、負債者の継続した供給を必要とする。そして、以来50年間の間に、殆どの開発途上国は国際通貨基金(IMF)に負債を負うこととなった。この融資は緊縮経済政策と公資産の民営化を伴う「構造調整」政策を含む条件付である。

1944年以降、米ドルは金準備通貨として金と互換性を持つようになった。米国がドルへの金の裏づけが保てなくなった1970年代に、OPECとドルを石油で「裏付ける」という取引をし、「石油ドル」を作り出した。石油はドルのみで売られ、ウォール街と他の国際銀行に入金されることとなった。

2001年に、OPECがその石油に対して得ているドルの価値が縮小していることに不満を持ったイラクのサダム・フセインは、この協定を破ってユーロで石油を売った。この国の政権変革と、広範囲な破壊が直ちに行われた。

リビアでは、カダフィも協定を破った。それも、石油を単に他の通貨で売る以上のことをしたのだ。これらの展開については、ブロガーのデニス・ラインが詳しく述べている
何十年もの間、アフリカの国々は、汎アフリカの金本位制をつくることを試みてきた。リビアのアル=カダフィと他のアフリカの国々の元首は独立した、汎アフリカの「硬貨」を欲していた。
アル=カダフィの指導の下、アフリカの国々は通貨の統一に関する会議を少なくとも2回開いている。これらの国々は、リビアのディナールと銀ディルハムをアフリカの石油を買うための唯一可能な通貨として使う可能性について協議した。
近年の米国とNATOの侵略までは、金ディナールはリビア中央銀行(CBL)で発行されていた。このリビアの銀行は100%国営で独立していた。外国人はリビアでビジネスをするにはCBLを通さなくてはいけなかった。リビア中央銀行は、ディナールを自国の143.8トンの金を使って発行した。
リビアのカダフィ(アフリカ・ユニオン、2009年 議長)はアフリカの主権国家の国々をひとつの金通貨で統一する(アフリカ合衆国)計画を考え出し、その資金を出した。2004年には、汎アフリカ議会(53カ国)が、単一の金通貨を2023年までに使うアフリカ経済共同体の計画を立てた。
アフリカの石油生産国は石油ドルを放棄して、石油とガスの支払いを金で要求する計画を立てていた。

何が可能かを示した

カダフィがしたことはアフリカの通貨クーデターを組織する以上のものだった。彼は金融上の独立が達成できることを示した。彼の最も大きな基幹施設プロジェクトである大人工河川は不毛な土地をリビアの穀倉地帯に変えていた。そしてこの330億ドルプロジェクトはリビアの国有銀行から、外国からの負債を負うことなく、利子なしで資金が供給された。

このことが、2011年に、この必要不可欠な基幹施設が破壊された理由を示している。NATOはそのパイプラインを爆破しただけでなく、それを修理するために必要なパイプを製造する工場も爆破することで、このプロジェクトを終わりにした。人口の70%に供給していた市民の灌漑施設を損なうことは、どうみても人道的介入とはいえない。むしろ、カナダのマキシミリアン・フォルテ教授が、多大な研究によって書いた本、シルテに向かって忍び寄る:NATOのリビアとアフリカへの戦争にあるように、

米国の軍事介入の目的は、アフリカのより大きな自立をもたらす、アフリカ内で現れ始めた独立パターンと協調ネットワークを妨害することだ。これは、欧州大陸外の勢力、つまり、米国の戦略地政学と政治経済的野望とは相容れない。

なぞは解けた

ヒラリークリントンのEメールは、初期にテレビ解説者によって取り上げられた、もうひとつのなぞについて光を当てた。なぜ、戦いを始めた数週間以内に、反乱軍は自分らの中央銀行を設置したのか?2011年に、ロバート・ウェンツェルがエコノミック・ポリシー・ジャーナルに書いている。

このことは、反乱グループの寄せ集めが走り回っているだけでなく、非常に洗練された影響力が存在するということだ。人民蜂起がたった数週間で中央銀行の設置にいたるというのは今までに聞いたことがない。

それは、疑わしいことだらけだが、アレックス・ニューマンが2011年の記事で結論しているように、

中央銀行と腐敗した世界金融システムを救うことがガダフィ打倒の真の理由のひとつであったかは...確実にわかることは決してないであろう、少なくとも公には。


この事件は、数多くの詐欺や汚職が立証されることがないのと同様に疑わしいままであろう。しかし、ヒラリー・クリントンのEメールがFBIの調査後に公表されることは、ニューマンの疑惑、つまり、暴力的な介入は人民の安全に主眼があったのではなく、世界の銀行業界、お金、そして石油の安全にあったということに大きな説得力を持たせるであろう。


この文の原文は最初に The Web of Debt Blogに掲載された。

Copyright © Ellen Brown, The Web of Debt Blog, 2016

2016年2月27日土曜日

リビアでの「戦争のメディア化」と広報(PR)会社

この Video: The Fabricated Pretexts for War (捏造された戦争の大義名分)という2016年1月23日にグローバルリサーチに掲載された4分弱のビデオは、米国(と同盟諸国)がヴェトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、リビア爆撃、シリア爆撃を開始するに当たってどのような名目を掲げ、どのようなメディア操作が行われたかを簡潔にまとめている。

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リビアにおいては、独裁者ガダフィが民主化を求める市民を無差別攻撃で数千人殺害し、傭兵なども投入されて、レイプが武器として使われた、といった典型的な(そして事実に反する)ガダフィ大佐の「悪魔化」(demonization )と「正当性と合法性の否定」(delegitimization)が西欧側のメディアで繰り返し行われた。そして、「保護する責任」(R2P)原則を掲げた安保理によるリビア制裁決議1793が採択され、飛行禁止区域の設定と、これを強制するためのNATOによる軍事介入が容認されることとなった。 

NATO軍は以来、安保理決議の枠を超えて2万回以上の出撃と8000回近い爆撃を行った。

「NATOは、いつから国家元首を殺すようになったのか?これは国連決議1793をはるかに越えた暴力行為だ。NATOはリビアで、<戦争のメディア化>を行ったのだ」
元フランス大使、クリスチャン・グレフ (堤未果著「政府は必ず嘘をつく」2012年、p.121)
この<戦争のメディア化>の過程で、NATOの軍事介入の本来の目的であるガダフィ政権の打倒と、新政権擁立という「レジームチェンジ」は、「民主化」「革命」「保護責任」といったパッケージに入れて宣伝された。レジームチェンジ(regime change)という言葉は、「政権交代」、というよりも「体制転換」という根本的な統治形態の変更を意味し、象徴として、新しい国旗が導入される。ガダフィ政権にとって代わるものとして反政府勢力、国民評議会(リビア暫定政権)に正当性を寄与する必要があり、欧米の大手PR会社とロビー会社がそれを行った。

2011年の2月に最初の反政府デモが始まってからすぐに、数日前までガダフィ政権で法務相を勤めていたムスタファ・モハメド・アブドルジャリルなどによって国民評議会が創設され、自らを、ガダフィ打倒後に正式なリビア政府に移行する暫定政権とした。本部をガダフィが政権を掌握する前にリビア王国の首都であったベンガジに置き、国旗も旧リビア王国のものが採用された。3月には、マフムード・ジブリールが暫定首相に指名され、新憲法草案も発表された。

軍部も設置されて、その「国民解放軍」が、ガダフィ政権軍と戦闘を行ったが、この反体制軍が、NATOを中心とする軍事支援によって劣勢を盛り返し、8月23日に首都トリポリ陥落、10月20日にはガダフィ自身もシルトで殺害され、レジームチェンジは成功裏に終わった。

国民評議会は、まず、2011年4月にワシントンのPR会社、ハーバーグループと契約した。代表取締役のリチャード・ミンツは、リビア反政府勢力の広報・ロビー活動をボランティア(無償)で行うことについて、正しいことなので決断するのは簡単だったと述べた。ミンツは、クリントン政権下で運輸省に勤め、1992年のクリントン大統領選挙運動の時には、ヒラリー・クリントンのスタッフ監督をするなど、米政府とは長い関係を持っている。

ハーバーグループは、国民評議会のマフムード・ジブリールをワシントンで議員と合わせたり、ブルッキングス研究所などのシンクタンクでの講演を手配したり、評議会を代表して報道機関に働きかけるなど、その正当性を売り込んだ。「革命」が成功したのち、2012年の3月からは、米リビア大使館と正式に契約を結び、15000ドルが毎月一年間ハーバーグループに支払われることとなった。

契約によれば、リビア新政府と米国との関係を強化し、米国のリビアへの海外援助を継続し、リビアでの商業と投資を支援するためのコミュニケーションと広報活動を行い、リビア大使館には、スピーチやプレスリリースの準備、ウェッブページやソーシャルメデイアのコンテンツの展開、説明会や代表団の訪問を組織などをするということだ。

ハーバーグループは、ワシントンのKストリートで最も高いロビー収入を得るパットン・ボッグス社と協力して国民評議会の正式承認と、それに伴うガダフィの凍結資産の受け渡しを推し進めてきた。これは2011年度中に実現している。パットン・ボッグスもまた、2011年6月から国民評議会のロビー活動をするという登録をし、ボランティアー(無報酬)でこの仕事を開始したが、2011年7月には正式に報酬をうけるようになり、2012年の前半の時点ですでに24万ドルの報酬を評議会から受けている。このころ、パットン・ボッグスの共同経営者、デイヴィッド・ターフリはリビア政府高官と、民主化への移行と、国連制裁の対象として凍結されていなかったガダフィの資産の「回復」について話をすすめていた。

ターフリは、ワシントン・ポストの論説に、
リビアの評議会を承認するということは、ガダフィを、あらゆる法的な正当性から切り離すということであり、リビアの人々を助けるために、この反乱軍が資金にアクセスでき、国際社会に「この国の自然資源を譲渡」する権利を持つのは彼らのみだと宣言することを可能にする。
と書いている。

上記の2社以外に、英国に本社を置く多国籍PR会社、ベル・ポッティンガーもまた国民評議会側に就いた。この英国でトップのPR会社は、ロンドン、ドバイ、シンガポール、アブダビ、香港、マレーシア、ブリュッセル、バーレーンに事務所を持つ。共同創設者のベル卿はマーガレット・サッチャーが首相を勤めていたときのアドバイザーであった。

ベル・ポッテインガーは、2011年半ばにはすでに国民評議会のために積極的に動いていたが、この時点では正式な契約は結ばれておらず、その活動内容についてもベル卿は多くを語らなかった。ベル・ポッテインガーは国民評議会にかかわる以前から、1969年ガダフィ大佐の革命によって崩壊したリビア王国、イドリス国王の血縁で、王位継承順位第一位のモハメッド・エル・サヌシを顧客としてきた。サヌシは1988年に英国に移住しており、1992年に父の死に際して皇太子の地位を引き継ぎ、リビア皇室の長となった。亡命後はリビアの反体制派の行事を主宰するなどしてきた。

サヌシは2011年2月の時点で反政府抗議者たちへの支援を表明し、ガダフィの「虐殺」をやめさせるために国際社会があらゆる措置をとることを呼びかけた。3月3日にはリビアに帰還するつもりであると発表し、3月4日には、欧米がガダフィに対して空爆を行うことを主張し、その後国連書記総長の潘 基文に、ガダフィが空軍に完全に頼っていることから、国連が飛行禁止区域を設置すべきであるという手紙を送った。

4月20日には、ブリュッセルにある欧州議会に、英国選出保守系議員の招待により訪れ、会見でリビアへのさらなる支援を呼びかけ、ガダフィ失脚後にどのような政府形態になるかはリビア人によって決められることで、立憲君主国も含め、どのようなものでも支持すると述べた。

このようなサヌシの経歴を見るとき、英国保守党と太いパイプを持つベル・ポッティンガーが、その人脈を駆使して以前からの顧客であるサヌシの反ガダフィ活動を支援する中で、国民評議会への支援が始まったと見られる。

国民評議会と「国民解放軍」が早々とリビア王国の国旗を採用し、メディアはそれを、独裁政権に対して民主化と自由を求める人民の象徴として常に報道した。この旗がこれだけ組織的に反ガダフィ団体にいきわたり、それがそのまま新リビアの正式な国旗となった裏には、このようなPR会社の根回しがあったのではないか。

2016年2月14日日曜日

米国とNATOは自分らが創りだしたテロリストと戦うためにリビアに侵攻

以下は2016年1月16日にニュー・イースターン・アウトルックに掲載されたトニー・カルタルッチによる、US-NATO Invade Libya to Fight Terrorists of Own Creation の訳です。(アクセス2月14日)

(投稿題はタイトル訳)

2011年にNATOが武器を与えて政権につかせたテロリストらによって脅かされているとされる油田を掌握するために、リビアに侵攻し、占拠する6000にも上る兵士が送られた。ロンドンテレグラフ紙は、ほとんど脚注のような記事で、かなりの兵士数の欧米の軍隊が、リビアを地上占拠し、いわゆる「イスラム国」(ISIS)と戦うことを目的とする軍事作戦のために送られた、と報告した。その記事、「イスラム国がリビアの主要給油施設を占拠するために戦っている」では、

この計画では、最高で1000人の英国兵士が、リビアの旧宗主国イタリアとの強力な6000人の合同軍隊の一部として、リビア軍の訓練と顧問をする。英国特殊部隊も前線で交戦することになる。

とある。

リビアに6000人もの強力な外国の軍隊が派兵されるとなれば、大見出しのニュース記事として取り上げられ、この作戦が許可される前に激しい議論が巻き起こってもよさそうなものだ。にもかかわらずなんの議論もなく、国民の許可もなく、小さくメディアに取り上げられただけで、米、英そしてリビアのもと殖民宗主国のイタリアを含めたヨーロッパの軍隊が、またもやリビアへの直接軍事介入を推し進めようとしている。

ミラー紙には、「SAS(陸軍特殊空挺部隊)がイスラム国の石油強奪を停止させる攻撃の先陣を切る」で、欧米の6000人の兵士が、ISISの5000人のテロリストと対峙、とある。このことは、欧米の介入の真の意図と、彼らが戦うために介入するという、その敵の本性との両方について、真実であるのか疑問がわく。

軍の原則では、普通侵攻側が、防御側よりも兵数が圧倒的に勝るようにするものだ。例えば、2004年のイラクの都市ファルージャでの戦闘中、米国は一万人の兵士を、3千から4千の防御側に対して配置した。つまり、リビアでは、ISISに直接対峙し、壊滅させるための大規模な掃討作戦は意図されてない。いろいろな場所で行われている欧米による他の介入と同じように、むしろ、ISISの脅威を恒久化させ、それによってリビアと、それより広範囲に及ぶ欧米の外国への軍事介入の正当化が恒久にできるように企画されている。

まずリビアに足がかりを作り、それが意図的に長引くように仕組み、それが北アフリカ全てをカバーする米国のアフリコム軍事作戦を支援するよう拡張されることは必須だ。 


米国と英国は、自分たちが政権に就けたテロリストと「戦っている」

2011年から地政学アナリストらが説明してきたように、アル・カイダのようなテロリスト組織とその幾つかのブランド名変更版は、欧米の真の敵対者からは程遠い。欧米の中東での最も近しく、古くからの同盟国、特に、サウジアラビアとカタールから資金を与えられ、武器を供給され、支援されているというだけでなく、これらのテロリスト組織は二重の目的に貢献するからだ。一つ目は、彼らが、欧米が標的とした国と、欧米の代理として戦う傭兵としての機能。二つ目は、代理戦が失敗したり、そのような選択肢が可能でないときに、欧米が直接軍事介入するための口実となることだ。

このことは、1980年代にアル・カイダが発生した当初から、アフガニスタンでソ連と戦う、米国とサウジアラビアの代理戦力として用いられたことが、一番最初の実例として挙げられる。2001年には、アフガニスタンでのアル・カイダの存在が、米国が侵攻し、占領することの口実となり、それが今日でもなお、続いている。

2011年には、文字通り、これらの同じテロリストらが、リビア政府を崩壊させるために組織され、武器を供給され、資金を受け、そしてNATOの上空援護を受けた。そこから彼らは再武装され、NATOメンバーであるトルコに送り込まれ、そこから北部シリアのイドリブと重要都市のアレッポを侵略した。

ビジネス・インサイダーは、その記事、「レポート:米国は公然と重火器をリビアからシリアの反乱軍に送っている」 の中で、
米政府は、ベンガジでの以前極秘であったCIAによる作戦は、リビア政府の兵器庫から略奪された重火器を見つけ、再購入し破壊することを含むと述べたが、しかし10月に我々は、米国政府職員、特に、殺害された大使のクリス・スティーブンスが重火器がリビアから聖戦主義シリア反乱軍に輸送されていたことを少なくとも知っていたことを示す証拠をリポートした。
シリアでは2012年の夏という早い時期から、幾つかのSA-7の可能性のある弾着が観測され、現在までに、ガダフィーの2万機の携帯式熱追尾ミサイルの、少なくとも幾つかが輸送された形跡がある。
9月6日には、シリアの反乱軍への武器400トンを積むリビアの船が、南トルコに停泊した。その船の船長は、リビア新政権のために働いている「ベンガジから来たリビア人」であった。この輸送を組織したトリポリ軍事評議会の議長であるアブデルハキム・ベルハジは、リビア革命中に直接スティーブンスと働いていた。


ビジネス・インサイダーが、アブデルハキム・ベルハジがスティーブンス大使と直接仕事をしていたと述べたことは特に重要だ。ベルハジは、米国国務省が海外のテロリスト組織としてリストに挙げている、リビアのアル・カイダ、リビア・イスラム闘争グループ(リビア・イスラム戦闘集団と訳されることもある。LIGF)の、指導者そのものだからだ。彼が明らかにアル・カイダと繋がっているにもかかわらず、2011年のリビア戦のときに彼は、公然と米国の支援を受けており、その後、NATOの政権挿げ替え作戦が完了した際にはアリゾナ州上院議員のジョン・マッケインと写真にポーズを取って収まっている。LIGFのリーダー、アブデルハキム・ベルハジは、伝えられるところによれば、現在リビアのISISの上級指導者でもある。

フォックスニュースの2015年3月の「ヘリッジ:ISISはリビアを新たな支援基盤、安全避難所に変えた」と題するリポートでは、
北アフリカのISISの指導者のひとりとされているのは、リビア人のアブデルハキム・ベルハジで、彼は2011年にリビアの独裁者ムアマール・ガダフィを失脚させるにあたり、米国からは積極的なパートナーとみられていた、とへリッジは報告した。「今や彼は、ISISと強固に同盟関係を結び、北部リビアでトレーニング・キャンプを支援している」とへリッジは述べた。
欧米がISISと戦っていないのは明らかだ。それどころか、中東と北アフリカ地域の全域で、その軍事的、地政学的な戦略を正当化するために、そして、地域的、全世界的な政治、軍事、経済的な覇権を追求するためにこれを生み出し、また、意図的にこれを恒久化しようとしているのは明白だ。

ハリウッドの舞台セットで、出来の悪い続編映画に使われる小道具のように、紛争で使われた武装トラックという道具そのものも、リビアの「反政府」の紋章がついていたものが、文字通りISISの旗のイメージで上塗りされた。2011年NATOの介入によって、我々はリビアに平和、安定、「自由」そして「民主主義」がもたらされると約束された。米英とヨーロッパの介入によって破壊され、テロリストがはびこるリビア。欧米の介入によってもたらされる同様の運命に他の国々、特にシリアを委ねることの危険性は十分理解できるはずだ。

2016年2月6日土曜日

ISISの大佐は、ブラックウォーターと国務省から11年間「対テロ」トレーニングを受けていた

以下は、カシウス・メスィルによる、

Terrorist Training in America: ISIS Colonel was Trained in “Counter-Terrorism” By Blackwater and U.S. State Department for 11 Years

の訳です。原文は2015年6月11日にThe Anti Media に掲載され、グローバル・リサーチに転載された(2015年10月22日)
(アクセス:2016年2月6日)

題名訳:
アメリカでテロリストの訓練:ISISの大佐は、ブラックウォーターと国務省から11年間「対テロ」トレーニングを受けていた


タジキスタンから来た元警察司令官は、最近ISISのビデオに登場し、昨年までずっと米国務省と、元軍事請負会社から訓練を受けていたことを認めた。

ノースカロライナのブラックウォーターの施設で、グルムロッド・ハリモフ大佐は「対テロリズム訓練」を受けた。

「2003年から2014年までハリモフ大佐は国務省の,外交上の保安/対テロリズム支援プログラムを通して、米国とタジキスタンで5つの対テロリズム・コースに参加した、」 と米国務省のスポークスウーマン、プージャ・ジュンジュンワラは述べた。

CNNの恐怖を煽るレポートによれば、

「このプログラムは、参加諸国からの候補者たちに、最新の対テロリズム戦法を訓練することによって、彼らが、現在カリモフ自身が参加しているような武装集団そのものと戦えるようになることを意図している。」

このビデオの中で、彼はロシア語で主要メディア・レポートにうってつけのスピーチをした:
「聞け、アメリカの豚ども、俺はアメリカに三回行ったことがある。お前らがイスラム教徒を殺すために兵士にどんな訓練をしているかを見ている...俺たちがお前らの住むところに行って、お前らを殺す。」

どんな類の徹底的な訓練が11年にも及ぶのだろうか、そして、この人物は実際何を学んだというのか。なぜ、そして、どうやってこの人物は、米国と深く繋がっていると同時にロシアからの訓練を受けたのか。

もしも、米政府がISISに対処する戦略を持っていない、という証拠が必要なら、ここにある。これ以上にあからさまなものはないだろう。このグループは、数十億ドルものアメリカが供給した軍事装備を捕獲し、欧米諸国の爆撃を受けているにもかかわらず、その領地を拡大しつつあり、そして、最近漏洩した文書は、米国が、ISISの創設を予測し、それを奨励すらしたことを証明している。その間ずっと、米国は市民の払った税金で賄われた武器で「イスラム国」の軍隊に参加する戦闘員を訓練していた。その「イスラム国」は、別の米国資金による軍備品で装備された軍と対峙している。筋道が通っているようだ。


(*原文にはCNNの動画が付いている。)


2016年2月4日木曜日

ガダフィの娘アイーシャ、NATOとリビアのテロリストに対する抵抗の新しい指導者に

以下は、2016年2月2日に、グローバルリサーチに掲載された、マヤ・オーリック(Maja Orlic)の記事、Gaddafi’s Daughter Ayesha: New Leader of Resistance Against NATO and Libyan Terrorists
を訳したものです。(アクセス2016年2月3日)

(投稿題は、タイトルの訳)

(副題)
アイーシャは、その人民のために:私は父と兄弟たち、そして夫と、そしてリビアの仇を討つ!

彼女が戻ってきた!ムアッマール・ガダフィの娘が、NATOと、その他のリビアのテロリストに対する抵抗運動を率いる。アイーシャは、自身が現在抵抗運動の指導者であり、新しい秘密政府を立ち上げるところだ、と語った。

アイーシャ・ガダフィは、新たにNATOが介入する前夜の、この国にとって決定的な瞬間に、抵抗運動の新リーダーとなった。リビア軍の中将として、彼女の伝説的な父親に忠誠を誓い、リビア人が勝利成功し、そして「ジャマヒリヤ政府に戻る」ために目を覚ますことを呼びかけた。


アイーシャ・ガダフィは、これから数ヶ月のうちに、リビア国内外で調停者として機能する、ガダフィに忠実な「著名なリビア人たち」による「秘密政府」を設立すること約束した。

現在の状況を分析しつつ、以前の軍を「誰であろうと一番多く報酬をくれる者のために働く」という原則のもとに戦争をすることを決断した「無政府主義者の気違いじみた寄せ集まり」として批判した。ガダフィの娘は、彼らがジャマヒリヤの緑の旗を使って支援者を勧誘すると同時に部族政府を強化し、それらの保護下で、トゥアレグとトウボウのイスラム主義者と同盟関係を結んだことを非難している。彼女は、トゥアレグとトウボウの部族が分離主義であり、トブルクの政府と共謀していると指摘した。

アイシャ・ガダフィは、国家を復興させるために、リビア軍の兵士たちに、彼女が最高司令官であるという宣誓を呼びかけた。

「私の名前が、この闘争の先頭に立つ義務と権利を与えている。」と、戦争中に夫と2人の子供を失った、この勇敢な女性は述べた。今日、彼女は「国家の象徴」と、ガダフィの肖像と共に、「国家統一を復元する使命の象徴」となる用意ができている。リビアの人々を自分自身の子供になぞらえ、自身を子供のために戦う母親に例えた。

彼女はまた、自分の父親を2011年に失脚させたアルカイダテロリストについて語った。アイーシャは、予言的に、彼らの破壊と死は狂気の兆しであり、それは崩壊し、消えうせると述べた。「我々は」、テロリストたちが、ひとつの国と対峙する「死闘の準備ができている。」 結論として、彼女は新たな契約に署名することを約束した。うわさによれば、印刷されたこの呼びかけは、リビアの主要都市、トリポリとトブルークで密かに配布され、共有されている。そして、伝えられたことによれば、私たちは、すぐに彼女の演説を、国内のテレビで聴くことになるだろう。




この記事の原文の著作権は、サウス・フロント、マヤ・オーリックに属する。

2016年1月30日土曜日

ガダフィ殺害の背景

このジェームズ・コルベットによる The Assassination of Gadaffi - GRTV Backgrounder (ガダフィの暗殺 - GRTV背景説明)という12分弱の動画は、殺害のあった2011年10月20日からまだ間もない10月31日に GRTV(グローバル・リサーチTV) とコルベットレポート(11月1日)に掲載された。

以下はコルベットのナレーションの写しを訳したものです。(アクセス:2016年1月28日)


NATOに支援された、アルカイダと繋がる勢力によるムアッマール・ガダフィの殺害によって、第二次世界大戦後のニュールンベルグ裁判とジュネーブ条約の成立以来存在する国際規範に直接違反した、国家元首の殺害と、主権国家の転覆を明白に目的とする軍事作戦の幕が閉じられた。

NATOの軍事作戦は、「ユニファイド・プロテクター作戦」として知られ、米国主導の「オデッセイの夜明け作戦」の継続となっている。これが正式に開始されたのは2011年の3月23日であり、名目的には国連安全保障理事会決議1973を実施するための作戦とされた。発端からNATOの同盟パートナーたちは、この軍派遣の目的は、反乱軍活動を支援してガダフィ政権を転覆させるためではなく、国連決議に沿って「一般市民を保護する」ためと主張してきた

しかし、この軍派遣の本当の目的はその後すぐに、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙上に掲載された、オバマ、キャメロン、サルコジ執筆による共同論説文(joint op-ed)のページで明らかにされた。

「国連安全保障決議1973下での我々の任務と権限は、市民を保護することであり、それを実行している。武力によってカダッフィを除去することではない」と彼らの論説に書いている。「しかし、リビアの将来をカダッフィが政権を握っている状態で想像するのは不可能だ。(...)自分の民を虐殺しようとした人物が、将来の政権に関わることは考えられない。」

一ヶ月もせずに、NATO軍がリビアの統率者の一番下の息子、サイフ・アル・アラブ・ガダッフィの私邸を、統率者自身を殺害するために爆撃したとき、ガダフィの暗殺という、介入の真の目的が確認された。ガダフィ自身は空爆を逃れたが、彼の息子と、孫の3人が殺害された。

ガダッフィが死亡する結果となった空爆は、今ではそれが、NATOとSAS部隊によって開始され、組織され、調整され、指揮されていたことが確認されている。攻撃は、ガダフィがシルテで護衛付きの75台の車列を組んで逃亡しているときに始まった。ネバダのクリーチ空軍基地のドローン(無人航空機)パイロットが、プレデター・ドローン航空機から一連のヘルファイヤー・ミサイルを発射して先頭の車両を破壊し、フランスの爆撃機が二発のレーザー誘導の500ポンド爆弾を車列の中央に発射するのを促した。同時に英SAS部隊がガダフィを捉えることなる地上軍を調整した。

ガダフィの死は、世界中のNATO幹部から歓喜の声で迎えられ、知識人やテレビ評論家などが、属する政治党派に関わらず、これに習った。この軍事作戦の全てを正当化した表向きの理由は、ガダフィが自国民を「虐殺」している、ということだったが、これが、誤り、虚偽の陳述、証拠資料のない申し立てに基づいたものであったことが以来、明らかになっている。

介入が発動されるに至った手順は、先ず、70の非政府団体の連合が、国連にリビアの人権理事会の理事国資格停止処分にし、安全保障理事会が、リビア政府が行ったとされる残虐行為からリビアの人民を保護するために、「保護責任」の原則を行使することを求める共同書簡を発表したことに始まる。

2月25日にこの件に関する特別会議が開かれ、国連人権理事会は、非政府団体(NGO)の提言を認める決議を採択した。この決議は表決なしに採択された。安全保障理事会は直ちに、「市民を保護」し、「人道支援を届ける」ために「リビア軍用機の飛行禁止区域」を設置する権限を与える、決議19701973を採択した。その三日後、この決議を名目に、米、英、仏はリビアの住民を爆撃し始めた。

この間、国際刑事裁判所(ICC)の主任検察官、ルイス・モレノ・オカンポは、この侵略の法的根拠に取り掛かり始めた。彼は、この裁判所の裁判官らに、ガダフィに対して人道に対する罪による逮捕令状を発令するよう要請書を書いた。NATO軍はすでに、NGOのグループによる証拠資料のない申し立てに基づいてこの国を侵略していたが、モレノ・オカンポの要請は5月16日まで発行されなかった。

裁判官らが逮捕令状の発令に同意した次の日の6月28日、モレノ・オカンポは記者会見に出席し、ひとりのレポーターから、ガダフィが嫌疑をかけられている残虐行為を彼がしたという証拠について質問された。ガダフィの犯罪の証拠を理解するために、モレノ・オカンポが一般の人々に読むことを促した文書は、実際一般公開されており、彼の言うとおり77ページなのだが、入手可能な版は、かなりの部分が伏せて(削除されて)ある。実際、77ページのうち、嫌疑に関する証拠を扱う部分すべてを含む53ページが削除されている。

フランスのアナリスト、チェリ・メイッサンがヴォルテール・ネットワークに書き、グローバル・リサーチに転載された最近の記事の中で、ガダフィが国際舞台で中傷され、後に嫌疑が晴れることになるのは、これが初めてではない、と指摘した。メイッサンが書いているように、ドイツの裁判では1986年、ベルリンでのディスコ爆破事件の責任がガダフィにあるとされた。これによって、米国は彼の大邸宅を空爆し、彼の娘とその他49名の市民が死亡した。後にこれはCIA諜報員によって仕組まれた誤った有罪判決で、爆破犯自身もモサド工作員であったことが判明した。

1988年のロッカビー爆破事件も、後になって、スコットランドの主任捜査官が、この事件の主要な証拠である爆弾タイマーは、CIA工作員が現場に置いておいたもので、そのタイマーを検査した「専門家」自体が製造したものであったことを認めた。そして、その爆弾を特定のスーツケースに結びつけた重要証人は、後に、証人席で虚偽の発言をすることで二百万ドルもらったことを認めた。

センター・フォー・リサーチ・オン・グローバリゼーションのミシェル・チョスドゥスキーは、リビアをこの七ヶ月間、その人民を保護するという名目で容赦なく爆撃してきたNATO軍は、リビアの新政府に、この国の破壊された基幹施設(インフラ)再建の費用を、リビアの人民に課されたNATO諸国への負債を通して支払うことを要請し、リビアの富を戦利品として手に入れることになる、と指摘した。もともとNATO自身がこのインフラを破壊したのにもかかわらず、である。

この状況の悲劇は、2009年の世界保健機関(WHO)報告書で明らかとなった。リビアはガダフィ政権下で、アフリカの中でも最高生活水準を享受する国のひとつであった。その報告書では、2009年に、リビアの平均余命は72歳を超え、小児死亡率は生児出産1000人中70人から1000人中19人にまで減少していた。初等教育はすべてのものに就学機会が与えられ、識字率と就学率は北アフリカで最高てある、とあった。

今や、リビアは破壊尽くされ、古くからの部族間の緊張と拮抗により、また、敵対と国内紛争に陥ることは避けられないであろう。NATOに支援され、国連の認可を受けた国民評議会は、彼ら自身が嫌疑をかけられている、シルテで起こった親ガダッフィ勢力の虐殺について調査をすると主張している。この件について、人権ウオッチは、この数週間の間に53人にも上るガダフィ支持者がマハリ・ホテルで後ろ手を縛られた状態でAK-47とFN-1によって冷酷に銃殺された、と記している。

米国の国務長官ヒラリー・クリントンですら、ガダフィの死について調査を指示している。彼女自身の軍隊が、ジュネーブ条約に直接違反した、この捕虜の残酷な殺害に重要な役割を担った。

ガダッフィの家族はガダッフィ大佐の死をヘイグ(国際刑事裁判所)に持ち込む意志があると伝えられているが、国際「正義」のギアは、ガダフィの戦争犯罪に関する裏づけも証拠資料もない主張には急回転し、この明々白々な、証拠資料があり検証可能な戦争犯罪には急停止する、というのが目に見えている。そして、国際政治関係に根本的な変化なしに、この裁判所が、守るとされてきた人々そのものを爆撃するという残忍な軍事作戦であるこの戦争の立案者自身を国際戦争犯罪者として裁くことは決してないということだ。


(訳者注:リンクの一部にはすでに削除されているものがあり、それらと内容が近いものをリンクしたものが二箇所ある)



2016年1月19日火曜日

ヘリテージ石油の最高責任者が、リビアの石油にアクセスするため、英保守党候補を勧誘

以下は2011年にガダフィ政権が崩壊した直後の11月にガーデイアンに掲載された、リビアでの石油開発に関するふたつの記事の訳で、どちらもヘリテージ石油のビジネスのあり方が伺える。

まず最初のHeritage Oil chief recruits former Tory candidate for access to Libya's reserves(*投稿題はこのタイトルの訳)は、デニス・レイとデレク・ブロワーが2011年11月14日に掲載。(アクセスは2016年1月9日)

  • 元特殊部隊の兵士らがエネルギー協定を結ぼうとしている。

  • トニー・バッキンガムがサハラの石油業者の株を買い込んでいる。 
トニー・バッキンガムは探査会社、ヘリテージ石油を率いる英国の元傭兵であり、英軍がリビアで新政府の設立に関与した後に、リビアでの足場を築くために、保守党下院議員になる予定だった人物の助けを求めていたようだ。

バッキンガムはまた先月、サハラ石油サービス・ホールディングス(Sahara Oil Services Holdings)という、ベンガジを本拠とする名の知られていない現地のリビアの石油業者の株1900万ドルを買い入れた。

スウィーティングは今年、ヘリテージに代わってウィリアム・ヘイグに手紙を書いた。この手紙は、スウィーティングが、不成功に終わったようだが、バッキンガムが外務大臣と会うことを取り付けようとしたもので、政治的影響力の世界を垣間見ることができる。
バッキンガム自身も、かなりの個人的寄付を2010年の保守党選挙運動にしている。5万ポンドを中央事務局に、そして5千ポンドを不安定選挙区の西カーマーセンにである。この地域の党委員長はロビイストのステファン・クローチだ。

クローチ自身のロビー活動も最近物議をかもしている。 元国防大臣リアム・フォックスの補佐官に寄付をし、その後、武器売買大臣のジェラルド・ハワースと面会する機械を得たことが明らかとなった。

スウィーティングは2010年の総選挙でトルキーの議席を僅差で逃したが、彼が外務大臣に5月10日に出した手紙には「親展」とあり、最近この2人が保守党の社交場、カールトンクラブで会ったことを思い起こさせている。ヘリテージ石油は、ガダフィ政権との繋がりによる「汚点」が全くなく、「英国はそのことを十分に利用するべきだ」と彼は述べ、「ヘリテージの業務執行取締役は、大臣、またはその配下の高官と会い、提案が国益に沿うものであることを説明する話し合いの機会を歓迎する」と書いている。

スウィーティングのベントレー車は、保守党関係の集まりでよく見かけられている。彼は、自分が協議を続けているリビアの反乱グループに英国への査証を発給するよう頼んだ。「このような特別で、また特殊ともいえる状況下で、外務省が英国境局に、以下の推薦されているリビア人たちの一回訪問ビザを迅速に発給するよう言っていただければ非常にありがたい...この訪問はヘリテージが主催することになる。」

スィーティングは手紙に「敬具、クリスチャン・スィーティング KCMG MRICS」と署名した。これらの頭文字は、彼が英国王立公認測量士学会のメンバーであることと、彼の教皇、大聖グレゴリウス騎士団勲章を意味する。

この4人のリビア人が結果的に、特別な公式のとりあつかいをうけたという証拠はない。外務省の情報筋によれば、彼らは普通に処理された。スウィーティングはパトリック・ニューマンとともにインターナショナル・ミネラル・リソーシーズ(国際鉱物資源)という会社を設立した。もとウズベキスタン大使であったクレイグ・マレーによれば、ニューマンは英・ウズベキスタン協会と繋がっており、商業的導入もしている。

スィーティングはホルムズ大将と共に、ベンガジに、ヘリテージを売り込むために向かった。ホルムズもバッキンガムのように軍から民間軍事会社の世界に移っている。彼はイラクで安全保障契約のあるエリニーズに勤め、最近自身の会社タイトンを設立した。ホルムズは、スウィーティングの手紙によれば、この旅行で「彼が知っていた英国の軍事使節団メンバーと、ばったり会う」ことに成功した。

スウィーティングはガーデイアン誌に、「リビアでの反乱の初期に、私は外務大臣に手紙を書いたが、それは陳述するためではなく、情報を与えることによって我々がしていることを英国政府が知っていることを確実にするためだ。」と述べた。「ビザの申請は、リビアの国民評議会(暫定政権)のメンバーまたはその主要な顧問たちのもので、(リビア政府として)認められる前には、これらの者にビザを発給する場所はトリポリにしかなく、つまり、ベンガジの’反乱者たち’には得ることができないからだ。」

ジャージーに登録されているヘリテージ石油会社は、このスウィーティングの手紙についてコメントすることを控えている。59歳のバッキンガム自身、興味深い経歴を持ち、秘密に満ちた特殊舟艇隊(SBS)に従事していたと伝えられている。バッキンガムが2004年に450万ポンドで購入した、ハンプシャーのビューリー川沿い、バックラーズ・ハードの大邸宅は、川を隔てた向いに、もと特殊部隊の同僚、サイモン・マンの以前5百万ポンドであった私有地がある。しかしバッキンガムは、2000年以来マンとは接触がないといっている。

マンは先月、赤道ギニアでの失敗に終わったクーデターの試みについて書いた回想録を出版した。このクーデター失敗によって彼はアフリカの刑務所で5年間を過ごした。マンのキャリアは1990年代にバッキンガムと傭兵グループのエグゼクテイブ・アウトカム(EO)と共に、アンゴラの反乱軍との戦いに参加したときに始まる。バッキンガムはアンゴラとシエラレオネでの稼ぎをダイヤモンドと石油事業につぎ込み、ヘリテージ石油を、ウガンダ、コンゴ共和国、クルジスタンなどの高リスク地域での採掘権獲得を専門とする攻勢的な探索会社に仕立て上げた。彼の財産は約5億ポンドと見られている。



以下は上の記事の二日後、2011年11月15日に同じくガーデイアンに載った、ルパート・ニートによる、 Libya seeks UK firms to develop oil sector and construction industry
を訳したものです。(アクセス:2016年1月18日)

リビアは、英国の会社による石油産業部門と建設業界の開発を依頼

リビア国営石油会社の総裁、ヌーリ・ベルウィーンは、政府が油層の開発にあたって「友を好意的に扱う」と述べた。

リビアの政府は、その高利益を生む石油契約を売り始めるときには「友達」に報いると述べ、英国の投資家に、自国が第二のドバイとなることを宣伝し始めた。リビアの国民評議会代表団は、金融・商業街の経営陣をロンドン中央のホテルに招き、リビアで売り出されている「莫大な機会」への興味を呼び起こした。

石油会社とその弁護士たちは、元独裁者のムアッマール・ガダフィに対する人民蜂起の前には、リビアの輸出の95%以上を占めていた膨大な石油埋蔵量に注目していた。リビアの国営石油会社の総裁ヌーリ・ベルウィーンは、自国の政府がアフリカで最も規模が大きく、世界では8番目に大きな460億バレルの未開発油田の新契約を結ぶ際には、「友達を有利に処遇する」であろうと述べた。しかし、選挙で選ばれた政府が国民評議会に取って代わる前に、新しい契約を授与することはほとんどないであろう、と彼は述べた。暫定政権は、現存する、BP(英国石油), シェル、エニ、トータルを含む石油会社との契約は、前政府が契約を授与する際に贈収賄があったという証拠がない限り、そのまま有効とされる、と述べている。

ベルウィーンは、リビアの一日の石油産出量60万バレルは今年の終わりまでに80万バレルに上り、2012年の終わりまでには戦争前のレベルである160万に戻るであろうと述べた。実質上、リビアの全ての石油は輸出されている。国際石油企業グループの代表は、リビアの油財を採掘するのに一番良い方法は、現地の経営者とパートナーを組むことだといわれてきた。この国の法律は、外国の石油会社が現地の経営者との合弁事業で65%までを所有することができる。


FTSE250種のヘリテージ石油は、英保守党へ献金し、以前傭兵であったトニー・バッキンガムによって経営されている。この会社はガダフィ政権が崩壊したあと、サハラ・オイル・サービシーズ・ホールディングの株51%を1900万ドル(1190万ポンド)で購入することによって、先月リビアの石油市場にガダッフィ政権崩壊後、一番乗りで参入した。


今週ガーデイアン誌は、バッキンガムが保守党議員候補であったクリスチャン・スィーテイングにリビアでの足場を築く手助けを求めていたらしいことを明らかにした


国際ビジネスがリビアの市場に参入することを援助するために設立されたコンサルタント会社の取締役、タレク・アルンは、この北アフリカの国が石油とガスだけでなく、建設でも「膨大な機会」を提供していると述べた。