2016年1月30日土曜日

ガダフィ殺害の背景

このジェームズ・コルベットによる The Assassination of Gadaffi - GRTV Backgrounder (ガダフィの暗殺 - GRTV背景説明)という12分弱の動画は、殺害のあった2011年10月20日からまだ間もない10月31日に GRTV(グローバル・リサーチTV) とコルベットレポート(11月1日)に掲載された。

以下はコルベットのナレーションの写しを訳したものです。(アクセス:2016年1月28日)


NATOに支援された、アルカイダと繋がる勢力によるムアッマール・ガダフィの殺害によって、第二次世界大戦後のニュールンベルグ裁判とジュネーブ条約の成立以来存在する国際規範に直接違反した、国家元首の殺害と、主権国家の転覆を明白に目的とする軍事作戦の幕が閉じられた。

NATOの軍事作戦は、「ユニファイド・プロテクター作戦」として知られ、米国主導の「オデッセイの夜明け作戦」の継続となっている。これが正式に開始されたのは2011年の3月23日であり、名目的には国連安全保障理事会決議1973を実施するための作戦とされた。発端からNATOの同盟パートナーたちは、この軍派遣の目的は、反乱軍活動を支援してガダフィ政権を転覆させるためではなく、国連決議に沿って「一般市民を保護する」ためと主張してきた

しかし、この軍派遣の本当の目的はその後すぐに、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙上に掲載された、オバマ、キャメロン、サルコジ執筆による共同論説文(joint op-ed)のページで明らかにされた。

「国連安全保障決議1973下での我々の任務と権限は、市民を保護することであり、それを実行している。武力によってカダッフィを除去することではない」と彼らの論説に書いている。「しかし、リビアの将来をカダッフィが政権を握っている状態で想像するのは不可能だ。(...)自分の民を虐殺しようとした人物が、将来の政権に関わることは考えられない。」

一ヶ月もせずに、NATO軍がリビアの統率者の一番下の息子、サイフ・アル・アラブ・ガダッフィの私邸を、統率者自身を殺害するために爆撃したとき、ガダフィの暗殺という、介入の真の目的が確認された。ガダフィ自身は空爆を逃れたが、彼の息子と、孫の3人が殺害された。

ガダッフィが死亡する結果となった空爆は、今ではそれが、NATOとSAS部隊によって開始され、組織され、調整され、指揮されていたことが確認されている。攻撃は、ガダフィがシルテで護衛付きの75台の車列を組んで逃亡しているときに始まった。ネバダのクリーチ空軍基地のドローン(無人航空機)パイロットが、プレデター・ドローン航空機から一連のヘルファイヤー・ミサイルを発射して先頭の車両を破壊し、フランスの爆撃機が二発のレーザー誘導の500ポンド爆弾を車列の中央に発射するのを促した。同時に英SAS部隊がガダフィを捉えることなる地上軍を調整した。

ガダフィの死は、世界中のNATO幹部から歓喜の声で迎えられ、知識人やテレビ評論家などが、属する政治党派に関わらず、これに習った。この軍事作戦の全てを正当化した表向きの理由は、ガダフィが自国民を「虐殺」している、ということだったが、これが、誤り、虚偽の陳述、証拠資料のない申し立てに基づいたものであったことが以来、明らかになっている。

介入が発動されるに至った手順は、先ず、70の非政府団体の連合が、国連にリビアの人権理事会の理事国資格停止処分にし、安全保障理事会が、リビア政府が行ったとされる残虐行為からリビアの人民を保護するために、「保護責任」の原則を行使することを求める共同書簡を発表したことに始まる。

2月25日にこの件に関する特別会議が開かれ、国連人権理事会は、非政府団体(NGO)の提言を認める決議を採択した。この決議は表決なしに採択された。安全保障理事会は直ちに、「市民を保護」し、「人道支援を届ける」ために「リビア軍用機の飛行禁止区域」を設置する権限を与える、決議19701973を採択した。その三日後、この決議を名目に、米、英、仏はリビアの住民を爆撃し始めた。

この間、国際刑事裁判所(ICC)の主任検察官、ルイス・モレノ・オカンポは、この侵略の法的根拠に取り掛かり始めた。彼は、この裁判所の裁判官らに、ガダフィに対して人道に対する罪による逮捕令状を発令するよう要請書を書いた。NATO軍はすでに、NGOのグループによる証拠資料のない申し立てに基づいてこの国を侵略していたが、モレノ・オカンポの要請は5月16日まで発行されなかった。

裁判官らが逮捕令状の発令に同意した次の日の6月28日、モレノ・オカンポは記者会見に出席し、ひとりのレポーターから、ガダフィが嫌疑をかけられている残虐行為を彼がしたという証拠について質問された。ガダフィの犯罪の証拠を理解するために、モレノ・オカンポが一般の人々に読むことを促した文書は、実際一般公開されており、彼の言うとおり77ページなのだが、入手可能な版は、かなりの部分が伏せて(削除されて)ある。実際、77ページのうち、嫌疑に関する証拠を扱う部分すべてを含む53ページが削除されている。

フランスのアナリスト、チェリ・メイッサンがヴォルテール・ネットワークに書き、グローバル・リサーチに転載された最近の記事の中で、ガダフィが国際舞台で中傷され、後に嫌疑が晴れることになるのは、これが初めてではない、と指摘した。メイッサンが書いているように、ドイツの裁判では1986年、ベルリンでのディスコ爆破事件の責任がガダフィにあるとされた。これによって、米国は彼の大邸宅を空爆し、彼の娘とその他49名の市民が死亡した。後にこれはCIA諜報員によって仕組まれた誤った有罪判決で、爆破犯自身もモサド工作員であったことが判明した。

1988年のロッカビー爆破事件も、後になって、スコットランドの主任捜査官が、この事件の主要な証拠である爆弾タイマーは、CIA工作員が現場に置いておいたもので、そのタイマーを検査した「専門家」自体が製造したものであったことを認めた。そして、その爆弾を特定のスーツケースに結びつけた重要証人は、後に、証人席で虚偽の発言をすることで二百万ドルもらったことを認めた。

センター・フォー・リサーチ・オン・グローバリゼーションのミシェル・チョスドゥスキーは、リビアをこの七ヶ月間、その人民を保護するという名目で容赦なく爆撃してきたNATO軍は、リビアの新政府に、この国の破壊された基幹施設(インフラ)再建の費用を、リビアの人民に課されたNATO諸国への負債を通して支払うことを要請し、リビアの富を戦利品として手に入れることになる、と指摘した。もともとNATO自身がこのインフラを破壊したのにもかかわらず、である。

この状況の悲劇は、2009年の世界保健機関(WHO)報告書で明らかとなった。リビアはガダフィ政権下で、アフリカの中でも最高生活水準を享受する国のひとつであった。その報告書では、2009年に、リビアの平均余命は72歳を超え、小児死亡率は生児出産1000人中70人から1000人中19人にまで減少していた。初等教育はすべてのものに就学機会が与えられ、識字率と就学率は北アフリカで最高てある、とあった。

今や、リビアは破壊尽くされ、古くからの部族間の緊張と拮抗により、また、敵対と国内紛争に陥ることは避けられないであろう。NATOに支援され、国連の認可を受けた国民評議会は、彼ら自身が嫌疑をかけられている、シルテで起こった親ガダッフィ勢力の虐殺について調査をすると主張している。この件について、人権ウオッチは、この数週間の間に53人にも上るガダフィ支持者がマハリ・ホテルで後ろ手を縛られた状態でAK-47とFN-1によって冷酷に銃殺された、と記している。

米国の国務長官ヒラリー・クリントンですら、ガダフィの死について調査を指示している。彼女自身の軍隊が、ジュネーブ条約に直接違反した、この捕虜の残酷な殺害に重要な役割を担った。

ガダッフィの家族はガダッフィ大佐の死をヘイグ(国際刑事裁判所)に持ち込む意志があると伝えられているが、国際「正義」のギアは、ガダフィの戦争犯罪に関する裏づけも証拠資料もない主張には急回転し、この明々白々な、証拠資料があり検証可能な戦争犯罪には急停止する、というのが目に見えている。そして、国際政治関係に根本的な変化なしに、この裁判所が、守るとされてきた人々そのものを爆撃するという残忍な軍事作戦であるこの戦争の立案者自身を国際戦争犯罪者として裁くことは決してないということだ。


(訳者注:リンクの一部にはすでに削除されているものがあり、それらと内容が近いものをリンクしたものが二箇所ある)



2016年1月19日火曜日

ヘリテージ石油の最高責任者が、リビアの石油にアクセスするため、英保守党候補を勧誘

以下は2011年にガダフィ政権が崩壊した直後の11月にガーデイアンに掲載された、リビアでの石油開発に関するふたつの記事の訳で、どちらもヘリテージ石油のビジネスのあり方が伺える。

まず最初のHeritage Oil chief recruits former Tory candidate for access to Libya's reserves(*投稿題はこのタイトルの訳)は、デニス・レイとデレク・ブロワーが2011年11月14日に掲載。(アクセスは2016年1月9日)

  • 元特殊部隊の兵士らがエネルギー協定を結ぼうとしている。

  • トニー・バッキンガムがサハラの石油業者の株を買い込んでいる。 
トニー・バッキンガムは探査会社、ヘリテージ石油を率いる英国の元傭兵であり、英軍がリビアで新政府の設立に関与した後に、リビアでの足場を築くために、保守党下院議員になる予定だった人物の助けを求めていたようだ。

バッキンガムはまた先月、サハラ石油サービス・ホールディングス(Sahara Oil Services Holdings)という、ベンガジを本拠とする名の知られていない現地のリビアの石油業者の株1900万ドルを買い入れた。

スウィーティングは今年、ヘリテージに代わってウィリアム・ヘイグに手紙を書いた。この手紙は、スウィーティングが、不成功に終わったようだが、バッキンガムが外務大臣と会うことを取り付けようとしたもので、政治的影響力の世界を垣間見ることができる。
バッキンガム自身も、かなりの個人的寄付を2010年の保守党選挙運動にしている。5万ポンドを中央事務局に、そして5千ポンドを不安定選挙区の西カーマーセンにである。この地域の党委員長はロビイストのステファン・クローチだ。

クローチ自身のロビー活動も最近物議をかもしている。 元国防大臣リアム・フォックスの補佐官に寄付をし、その後、武器売買大臣のジェラルド・ハワースと面会する機械を得たことが明らかとなった。

スウィーティングは2010年の総選挙でトルキーの議席を僅差で逃したが、彼が外務大臣に5月10日に出した手紙には「親展」とあり、最近この2人が保守党の社交場、カールトンクラブで会ったことを思い起こさせている。ヘリテージ石油は、ガダフィ政権との繋がりによる「汚点」が全くなく、「英国はそのことを十分に利用するべきだ」と彼は述べ、「ヘリテージの業務執行取締役は、大臣、またはその配下の高官と会い、提案が国益に沿うものであることを説明する話し合いの機会を歓迎する」と書いている。

スウィーティングのベントレー車は、保守党関係の集まりでよく見かけられている。彼は、自分が協議を続けているリビアの反乱グループに英国への査証を発給するよう頼んだ。「このような特別で、また特殊ともいえる状況下で、外務省が英国境局に、以下の推薦されているリビア人たちの一回訪問ビザを迅速に発給するよう言っていただければ非常にありがたい...この訪問はヘリテージが主催することになる。」

スィーティングは手紙に「敬具、クリスチャン・スィーティング KCMG MRICS」と署名した。これらの頭文字は、彼が英国王立公認測量士学会のメンバーであることと、彼の教皇、大聖グレゴリウス騎士団勲章を意味する。

この4人のリビア人が結果的に、特別な公式のとりあつかいをうけたという証拠はない。外務省の情報筋によれば、彼らは普通に処理された。スウィーティングはパトリック・ニューマンとともにインターナショナル・ミネラル・リソーシーズ(国際鉱物資源)という会社を設立した。もとウズベキスタン大使であったクレイグ・マレーによれば、ニューマンは英・ウズベキスタン協会と繋がっており、商業的導入もしている。

スィーティングはホルムズ大将と共に、ベンガジに、ヘリテージを売り込むために向かった。ホルムズもバッキンガムのように軍から民間軍事会社の世界に移っている。彼はイラクで安全保障契約のあるエリニーズに勤め、最近自身の会社タイトンを設立した。ホルムズは、スウィーティングの手紙によれば、この旅行で「彼が知っていた英国の軍事使節団メンバーと、ばったり会う」ことに成功した。

スウィーティングはガーデイアン誌に、「リビアでの反乱の初期に、私は外務大臣に手紙を書いたが、それは陳述するためではなく、情報を与えることによって我々がしていることを英国政府が知っていることを確実にするためだ。」と述べた。「ビザの申請は、リビアの国民評議会(暫定政権)のメンバーまたはその主要な顧問たちのもので、(リビア政府として)認められる前には、これらの者にビザを発給する場所はトリポリにしかなく、つまり、ベンガジの’反乱者たち’には得ることができないからだ。」

ジャージーに登録されているヘリテージ石油会社は、このスウィーティングの手紙についてコメントすることを控えている。59歳のバッキンガム自身、興味深い経歴を持ち、秘密に満ちた特殊舟艇隊(SBS)に従事していたと伝えられている。バッキンガムが2004年に450万ポンドで購入した、ハンプシャーのビューリー川沿い、バックラーズ・ハードの大邸宅は、川を隔てた向いに、もと特殊部隊の同僚、サイモン・マンの以前5百万ポンドであった私有地がある。しかしバッキンガムは、2000年以来マンとは接触がないといっている。

マンは先月、赤道ギニアでの失敗に終わったクーデターの試みについて書いた回想録を出版した。このクーデター失敗によって彼はアフリカの刑務所で5年間を過ごした。マンのキャリアは1990年代にバッキンガムと傭兵グループのエグゼクテイブ・アウトカム(EO)と共に、アンゴラの反乱軍との戦いに参加したときに始まる。バッキンガムはアンゴラとシエラレオネでの稼ぎをダイヤモンドと石油事業につぎ込み、ヘリテージ石油を、ウガンダ、コンゴ共和国、クルジスタンなどの高リスク地域での採掘権獲得を専門とする攻勢的な探索会社に仕立て上げた。彼の財産は約5億ポンドと見られている。



以下は上の記事の二日後、2011年11月15日に同じくガーデイアンに載った、ルパート・ニートによる、 Libya seeks UK firms to develop oil sector and construction industry
を訳したものです。(アクセス:2016年1月18日)

リビアは、英国の会社による石油産業部門と建設業界の開発を依頼

リビア国営石油会社の総裁、ヌーリ・ベルウィーンは、政府が油層の開発にあたって「友を好意的に扱う」と述べた。

リビアの政府は、その高利益を生む石油契約を売り始めるときには「友達」に報いると述べ、英国の投資家に、自国が第二のドバイとなることを宣伝し始めた。リビアの国民評議会代表団は、金融・商業街の経営陣をロンドン中央のホテルに招き、リビアで売り出されている「莫大な機会」への興味を呼び起こした。

石油会社とその弁護士たちは、元独裁者のムアッマール・ガダフィに対する人民蜂起の前には、リビアの輸出の95%以上を占めていた膨大な石油埋蔵量に注目していた。リビアの国営石油会社の総裁ヌーリ・ベルウィーンは、自国の政府がアフリカで最も規模が大きく、世界では8番目に大きな460億バレルの未開発油田の新契約を結ぶ際には、「友達を有利に処遇する」であろうと述べた。しかし、選挙で選ばれた政府が国民評議会に取って代わる前に、新しい契約を授与することはほとんどないであろう、と彼は述べた。暫定政権は、現存する、BP(英国石油), シェル、エニ、トータルを含む石油会社との契約は、前政府が契約を授与する際に贈収賄があったという証拠がない限り、そのまま有効とされる、と述べている。

ベルウィーンは、リビアの一日の石油産出量60万バレルは今年の終わりまでに80万バレルに上り、2012年の終わりまでには戦争前のレベルである160万に戻るであろうと述べた。実質上、リビアの全ての石油は輸出されている。国際石油企業グループの代表は、リビアの油財を採掘するのに一番良い方法は、現地の経営者とパートナーを組むことだといわれてきた。この国の法律は、外国の石油会社が現地の経営者との合弁事業で65%までを所有することができる。


FTSE250種のヘリテージ石油は、英保守党へ献金し、以前傭兵であったトニー・バッキンガムによって経営されている。この会社はガダフィ政権が崩壊したあと、サハラ・オイル・サービシーズ・ホールディングの株51%を1900万ドル(1190万ポンド)で購入することによって、先月リビアの石油市場にガダッフィ政権崩壊後、一番乗りで参入した。


今週ガーデイアン誌は、バッキンガムが保守党議員候補であったクリスチャン・スィーテイングにリビアでの足場を築く手助けを求めていたらしいことを明らかにした


国際ビジネスがリビアの市場に参入することを援助するために設立されたコンサルタント会社の取締役、タレク・アルンは、この北アフリカの国が石油とガスだけでなく、建設でも「膨大な機会」を提供していると述べた。