2017年12月5日火曜日

サウジアラビアのサルマン皇太子による粛清と対イラン軍事衝突の可能性

 ジャーナリストのウェイン・マドセンはイスラエルとサウジアラビアが共同で対イラン戦略を画策していると、How Israel and Saudi Arabia Conspire to Seize Control of the Middle East という記事で述べた。

最近リークされたイスラエル外務省から世界各地のイスラエル外交機関すべてに送られた機密外交電信によると、イスラエルとサウジアラビアがレバノン国内の政治的対立と、サウジのイランに対する軍事的対立を引き起こすことを画策している。(ウェイン・マドセン、ストラテジック・カルチャーファウンデーション、2017年11月9日)

その外交電信は、イスラエルの外交官がレバノンのヒズボラとイランに対する外交圧力を高めるよう指示している。イスラエルはサウジ皇太子のムハンマド・ビン・サルマン皇太子(MBS)率いるサウジの新政権がレバノンの首相サード・ハリーリをサウジの地で辞任に追い込んだことを好機と捉えている。ハリーリはサウジアラビアとの二重国籍を持ち、長い間その傀儡であるとみなされてきた。(マドセン、上記

その外交電報はまた、イスラエル在外公館が各国の政府にサウジアラビアのイエメンでのフーシに対する戦闘を支持するように圧力をかけることを要請している。イランは、イスラムのザイディー派を信奉するフーシの主要な後援国である。ザイディー派はイランを統治し、ヒズボラを統率するシーア派と、シリア政府で優位を占めるアラウィー派と強い宗教的な結びつきがある。ハリリの辞任がレバノンの安全保障にとって、イランとヒズボラがいかに危険かを示している、ということをイスラエル外交官が強調する必要があるとも記されていた。フーシがリヤドに向けてミサイルを発射したことで、イランとヒズボラに対しより強い圧力をかける必要ができた、ということもイスラエル外交官が滞在地の政府に明確に主張するべきであるとも。(マドセン

このイスラエルの電信がリークされたのは、サウジアラビアで2つの出来事が起きた直後だった。一つは、サルマン皇太子(MBS)が父親のサルマン国王の敵と思われるものに対して事実上の内部クーデターを起こしたことである。二つ目は、ドナルド・トランプ大統領の上級顧問で、義理の息子でもあるジャレッド・クシュナーが秘密裏にリヤドを訪れたことだ。クシュナーとMBSは数日夜通しで会合を持ち、共同で「作戦を計画した」。クシュナーのリヤド訪問に同行したのは、国家安全保障担当補佐官のディナ・ハビブ・パウエルだ。カイロで生まれ、親サウジアラビアのエジプト大統領、アブデル・ファター・アル=シーシ政府の支持者である。もう一人は、ホワイトハウスの中東特命使節ジェイソン・ゴールドブラットで、イスラエル首相のベニヤミン・ナタニヤフの強力な支持者であり、クシュナー家の親しい友人である。(マドセン

リークされた電信を見ると、クシュナー、ゴールドブラット、パウエル、そしてMBSは中東をイスラエルの後ろ盾を得たスンニ・ワッハビ派によるイラン、レバノン、イエメンのフーシ政府に対して行う戦争に押しやる一連の出来事を画策したように思われる。サウジアラビアの上位にある王子たちに対するMBSのクーデターはサウジ家の統治を実質的にサルマンの統治に変えた。MBSはイラクとシリアでの「イラクとレバントのイスラム国(ISIL)」または「ダエーシュ」創設の主要な誘導者であり、サウジ主導のイエメンでの殺戮に満ちた戦争の最高立役者であり、カタールに対して湾岸協力会議(GCC)が発動した経済と渡航制裁の推進者である。MBSはクシュナーとイスラエルと共に、アメリカをイランとの軍事紛争に誘導しようとしている。トランプはアジア訪問中にツイッターでMSBのクーデターに対して全面的な支持を表明した。(マドセン

MBSがサウジ家で顕著な役割を担うようになったのは2011年の10月にスルタン・ビン・アブドルアジス皇太子が亡くなった時からだ。現国王のサルマンはリヤド地方知事であったが、2011年の11月に第二副首相と防衛大臣の地位に就いた。サルマンはMBSを彼の私的顧問にし、広範な職務を与えた。この若い王子はシリアでバシャール・アル=アサド大統領に対するジハーディストの反乱を起こす支援し、リビアのムアンマール・カダッフィに対する蜂起も支援した。MBSはまた、父親がバーレーンでの民主化蜂起を容赦なく潰すのにも手を貸した。2012年の11月にサルマンの兄弟である皇太子のナイエフ・ビン・アブドルアジス・アル=サウドが死亡すると、サルマンは皇太子と第一副首相に指名され、海外にいることの多いアブドウッラー国王に代わり、国務を広くこなした。サルマンはイスラム教徒が大多数を占める貧困な国々に慈善事業の多額の寄付を行った。これは息子のMBSも同時に行い、サウジの資金がソマリア、バングラデシュ、アフガニスタン、スーダンのワッハビ派急進主義者団体の財源を潤した。(マドセン

2015年にアブドウラー国王が90歳で亡くなると、サルマンは王位を継承した。サルマンは当初、前サウジ諜報局長のムクリン・ビン・アブドルアジス・アル=サウドを皇太子に指名したが、ムクリンの地位は長くは続かず、2015年の4月に彼のいとこで内務大臣のムハンマッド・ビン・ナイエフ王子にとってかわられた。MBSは防衛大臣に指名された。2017年6月21日には「忍び寄るクーデター」の始まりとして、ナイエフ皇太子が国王令により退陣。ナイエフは彼の宮殿で自宅監禁となり、王位継承権を放棄することを迫られた。そしてサルマン王は直ちにMBSを皇太子に指名する。2017年にはMBSはサルマン・アル=オウダを含む高位の聖職者を拘禁した。オウダはサウジ国家のワッハビ派基盤から独立を保ち、サウジアラビアとカタールとの和解を支持することで知られていた。オウダの同輩、アワッド・アル=カルニとアリ・アル=オマリーもまた逮捕された。(マドセン

2017年11月4日にMBSはナイエフ以外のサウド家のメンバーにも攻撃を始めた。サウジの反汚職委員会の設立を宣言し、少なくとも12人の王子が拘禁された。その中には億万長者で国際的な投資家、王国持ち株会社の会長アルワリード・ビン・タラール・アル=サウド王子も含まれている。MBSはまた、故アブドッラー国王の息子でサウジ国家警備隊司令官のムタイブ(ミテブ)・ビン・アブドッラー王子を解雇、逮捕し、MBSに忠実なハーリド・ビン・アッヤフ・アル=ムクリン王子に挿げ替えた。故アブドッラー政府の高官の多くは、MBSと彼に忠実な者たちによって組織的に粛清された。同じころアシール地方の副知事マンスール・ビン・ムクリン王子と7人の高官が乗るヘリコプターがフーシ支配下にあるイエメンとの国境近いアシール地方のアドハ近辺で墜落した。ムクリン王子は、2005年に追放されたムクリン・ビン・アブドルアジス前皇太子の息子である。11月6日にはアブドル・アジズ王子がMBSに忠実な警察が彼を逮捕しに行った際に、アジス王子の警備員との撃ち合いとなり、その最中に王子は警察に撃たれて死亡した。(マドセン

反汚職の名目で11月4日に逮捕拘禁されたのは上記の王子やビジネス関係者50人ほどで、その後拘束されたものの数は200名ほどにも上った。リヤドにある高級ホテル、リッツ・カールトンが王族などの拘禁に使われており、アメリカの傭兵が拷問を行っているという報告がある。その傭兵として名が挙がっているのは現在はアカデミと名を変えているブラックウオーターだ。アカデミは関与を否定しているが、ブラックウオーターであるという発言はレバノン大統領からもなされている。逆さづりにされ打撲されたものの中にはアルワリード・ビン・タラール王子も含まれているという。(アメリカの傭兵が皇太子に一斉検挙されたサウジエリートを拷問。ブラックウオーターが関与か?

MBSの粛清で拘禁されたサウジ王子たちの中で最初に釈放されたのはムタイブ・ビン・アブドッラー(アル=サウド)で、そのために100億ドルを家族と協力者が支払った。元王立儀式長のモハンマッド・アル=トゥバイシ王子も60億リアルでMBSと同意にいたり、リッツ・カールトンから釈放された。拘禁されたもののほとんどが支払金額で同意にいたり、次々と釈放されるであろうと情報筋は語った。億万長者のアルワリード・ビン・タラール王子がどのようになったかはまだ確認されていない。200人以上が横領と汚職の嫌疑で拘禁され、その額は1000億ドルと見積もられている。しかし、このMBSの粛清が、汚職撲滅よりも資金と権力掌握が目的であると多くのものは見ている。