以下は2011年にガダフィ政権が崩壊した直後の11月にガーデイアンに掲載された、リビアでの石油開発に関するふたつの記事の訳で、どちらもヘリテージ石油のビジネスのあり方が伺える。
まず最初のHeritage Oil chief recruits former Tory candidate for access to Libya's reserves(*投稿題はこのタイトルの訳)は、デニス・レイとデレク・ブロワーが2011年11月14日に掲載。(アクセスは2016年1月9日)
元特殊部隊の兵士らがエネルギー協定を結ぼうとしている。
- トニー・バッキンガムがサハラの石油業者の株を買い込んでいる。
バッキンガムはまた先月、サハラ石油サービス・ホールディングス(Sahara Oil Services Holdings)という、ベンガジを本拠とする名の知られていない現地のリビアの石油業者の株1900万ドルを買い入れた。
スウィーティングは今年、ヘリテージに代わってウィリアム・ヘイグに手紙を書いた。この手紙は、スウィーティングが、不成功に終わったようだが、バッキンガムが外務大臣と会うことを取り付けようとしたもので、政治的影響力の世界を垣間見ることができる。
バッキンガム自身も、かなりの個人的寄付を2010年の保守党選挙運動にしている。5万ポンドを中央事務局に、そして5千ポンドを不安定選挙区の西カーマーセンにである。この地域の党委員長はロビイストのステファン・クローチだ。
クローチ自身のロビー活動も最近物議をかもしている。 元国防大臣リアム・フォックスの補佐官に寄付をし、その後、武器売買大臣のジェラルド・ハワースと面会する機械を得たことが明らかとなった。
スウィーティングは2010年の総選挙でトルキーの議席を僅差で逃したが、彼が外務大臣に5月10日に出した手紙には「親展」とあり、最近この2人が保守党の社交場、カールトンクラブで会ったことを思い起こさせている。ヘリテージ石油は、ガダフィ政権との繋がりによる「汚点」が全くなく、「英国はそのことを十分に利用するべきだ」と彼は述べ、「ヘリテージの業務執行取締役は、大臣、またはその配下の高官と会い、提案が国益に沿うものであることを説明する話し合いの機会を歓迎する」と書いている。
スウィーティングのベントレー車は、保守党関係の集まりでよく見かけられている。彼は、自分が協議を続けているリビアの反乱グループに英国への査証を発給するよう頼んだ。「このような特別で、また特殊ともいえる状況下で、外務省が英国境局に、以下の推薦されているリビア人たちの一回訪問ビザを迅速に発給するよう言っていただければ非常にありがたい...この訪問はヘリテージが主催することになる。」
スィーティングは手紙に「敬具、クリスチャン・スィーティング KCMG MRICS」と署名した。これらの頭文字は、彼が英国王立公認測量士学会のメンバーであることと、彼の教皇、大聖グレゴリウス騎士団勲章を意味する。
この4人のリビア人が結果的に、特別な公式のとりあつかいをうけたという証拠はない。外務省の情報筋によれば、彼らは普通に処理された。スウィーティングはパトリック・ニューマンとともにインターナショナル・ミネラル・リソーシーズ(国際鉱物資源)という会社を設立した。もとウズベキスタン大使であったクレイグ・マレーによれば、ニューマンは英・ウズベキスタン協会と繋がっており、商業的導入もしている。
スィーティングはホルムズ大将と共に、ベンガジに、ヘリテージを売り込むために向かった。ホルムズもバッキンガムのように軍から民間軍事会社の世界に移っている。彼はイラクで安全保障契約のあるエリニーズに勤め、最近自身の会社タイトンを設立した。ホルムズは、スウィーティングの手紙によれば、この旅行で「彼が知っていた英国の軍事使節団メンバーと、ばったり会う」ことに成功した。
スウィーティングはガーデイアン誌に、「リビアでの反乱の初期に、私は外務大臣に手紙を書いたが、それは陳述するためではなく、情報を与えることによって我々がしていることを英国政府が知っていることを確実にするためだ。」と述べた。「ビザの申請は、リビアの国民評議会(暫定政権)のメンバーまたはその主要な顧問たちのもので、(リビア政府として)認められる前には、これらの者にビザを発給する場所はトリポリにしかなく、つまり、ベンガジの’反乱者たち’には得ることができないからだ。」
ジャージーに登録されているヘリテージ石油会社は、このスウィーティングの手紙についてコメントすることを控えている。59歳のバッキンガム自身、興味深い経歴を持ち、秘密に満ちた特殊舟艇隊(SBS)に従事していたと伝えられている。バッキンガムが2004年に450万ポンドで購入した、ハンプシャーのビューリー川沿い、バックラーズ・ハードの大邸宅は、川を隔てた向いに、もと特殊部隊の同僚、サイモン・マンの以前5百万ポンドであった私有地がある。しかしバッキンガムは、2000年以来マンとは接触がないといっている。
マンは先月、赤道ギニアでの失敗に終わったクーデターの試みについて書いた回想録を出版した。このクーデター失敗によって彼はアフリカの刑務所で5年間を過ごした。マンのキャリアは1990年代にバッキンガムと傭兵グループのエグゼクテイブ・アウトカム(EO)と共に、アンゴラの反乱軍との戦いに参加したときに始まる。バッキンガムはアンゴラとシエラレオネでの稼ぎをダイヤモンドと石油事業につぎ込み、ヘリテージ石油を、ウガンダ、コンゴ共和国、クルジスタンなどの高リスク地域での採掘権獲得を専門とする攻勢的な探索会社に仕立て上げた。彼の財産は約5億ポンドと見られている。
クローチ自身のロビー活動も最近物議をかもしている。 元国防大臣リアム・フォックスの補佐官に寄付をし、その後、武器売買大臣のジェラルド・ハワースと面会する機械を得たことが明らかとなった。
スウィーティングは2010年の総選挙でトルキーの議席を僅差で逃したが、彼が外務大臣に5月10日に出した手紙には「親展」とあり、最近この2人が保守党の社交場、カールトンクラブで会ったことを思い起こさせている。ヘリテージ石油は、ガダフィ政権との繋がりによる「汚点」が全くなく、「英国はそのことを十分に利用するべきだ」と彼は述べ、「ヘリテージの業務執行取締役は、大臣、またはその配下の高官と会い、提案が国益に沿うものであることを説明する話し合いの機会を歓迎する」と書いている。
スウィーティングのベントレー車は、保守党関係の集まりでよく見かけられている。彼は、自分が協議を続けているリビアの反乱グループに英国への査証を発給するよう頼んだ。「このような特別で、また特殊ともいえる状況下で、外務省が英国境局に、以下の推薦されているリビア人たちの一回訪問ビザを迅速に発給するよう言っていただければ非常にありがたい...この訪問はヘリテージが主催することになる。」
スィーティングは手紙に「敬具、クリスチャン・スィーティング KCMG MRICS」と署名した。これらの頭文字は、彼が英国王立公認測量士学会のメンバーであることと、彼の教皇、大聖グレゴリウス騎士団勲章を意味する。
この4人のリビア人が結果的に、特別な公式のとりあつかいをうけたという証拠はない。外務省の情報筋によれば、彼らは普通に処理された。スウィーティングはパトリック・ニューマンとともにインターナショナル・ミネラル・リソーシーズ(国際鉱物資源)という会社を設立した。もとウズベキスタン大使であったクレイグ・マレーによれば、ニューマンは英・ウズベキスタン協会と繋がっており、商業的導入もしている。
スィーティングはホルムズ大将と共に、ベンガジに、ヘリテージを売り込むために向かった。ホルムズもバッキンガムのように軍から民間軍事会社の世界に移っている。彼はイラクで安全保障契約のあるエリニーズに勤め、最近自身の会社タイトンを設立した。ホルムズは、スウィーティングの手紙によれば、この旅行で「彼が知っていた英国の軍事使節団メンバーと、ばったり会う」ことに成功した。
スウィーティングはガーデイアン誌に、「リビアでの反乱の初期に、私は外務大臣に手紙を書いたが、それは陳述するためではなく、情報を与えることによって我々がしていることを英国政府が知っていることを確実にするためだ。」と述べた。「ビザの申請は、リビアの国民評議会(暫定政権)のメンバーまたはその主要な顧問たちのもので、(リビア政府として)認められる前には、これらの者にビザを発給する場所はトリポリにしかなく、つまり、ベンガジの’反乱者たち’には得ることができないからだ。」
ジャージーに登録されているヘリテージ石油会社は、このスウィーティングの手紙についてコメントすることを控えている。59歳のバッキンガム自身、興味深い経歴を持ち、秘密に満ちた特殊舟艇隊(SBS)に従事していたと伝えられている。バッキンガムが2004年に450万ポンドで購入した、ハンプシャーのビューリー川沿い、バックラーズ・ハードの大邸宅は、川を隔てた向いに、もと特殊部隊の同僚、サイモン・マンの以前5百万ポンドであった私有地がある。しかしバッキンガムは、2000年以来マンとは接触がないといっている。
マンは先月、赤道ギニアでの失敗に終わったクーデターの試みについて書いた回想録を出版した。このクーデター失敗によって彼はアフリカの刑務所で5年間を過ごした。マンのキャリアは1990年代にバッキンガムと傭兵グループのエグゼクテイブ・アウトカム(EO)と共に、アンゴラの反乱軍との戦いに参加したときに始まる。バッキンガムはアンゴラとシエラレオネでの稼ぎをダイヤモンドと石油事業につぎ込み、ヘリテージ石油を、ウガンダ、コンゴ共和国、クルジスタンなどの高リスク地域での採掘権獲得を専門とする攻勢的な探索会社に仕立て上げた。彼の財産は約5億ポンドと見られている。
以下は上の記事の二日後、2011年11月15日に同じくガーデイアンに載った、ルパート・ニートによる、 Libya seeks UK firms to develop oil sector and construction industry
を訳したものです。(アクセス:2016年1月18日)
リビアは、英国の会社による石油産業部門と建設業界の開発を依頼
リビアは、英国の会社による石油産業部門と建設業界の開発を依頼
リビア国営石油会社の総裁、ヌーリ・ベルウィーンは、政府が油層の開発にあたって「友を好意的に扱う」と述べた。
リビアの政府は、その高利益を生む石油契約を売り始めるときには「友達」に報いると述べ、英国の投資家に、自国が第二のドバイとなることを宣伝し始めた。リビアの国民評議会代表団は、金融・商業街の経営陣をロンドン中央のホテルに招き、リビアで売り出されている「莫大な機会」への興味を呼び起こした。
石油会社とその弁護士たちは、元独裁者のムアッマール・ガダフィに対する人民蜂起の前には、リビアの輸出の95%以上を占めていた膨大な石油埋蔵量に注目していた。リビアの国営石油会社の総裁ヌーリ・ベルウィーンは、自国の政府がアフリカで最も規模が大きく、世界では8番目に大きな460億バレルの未開発油田の新契約を結ぶ際には、「友達を有利に処遇する」であろうと述べた。しかし、選挙で選ばれた政府が国民評議会に取って代わる前に、新しい契約を授与することはほとんどないであろう、と彼は述べた。暫定政権は、現存する、BP(英国石油), シェル、エニ、トータルを含む石油会社との契約は、前政府が契約を授与する際に贈収賄があったという証拠がない限り、そのまま有効とされる、と述べている。
ベルウィーンは、リビアの一日の石油産出量60万バレルは今年の終わりまでに80万バレルに上り、2012年の終わりまでには戦争前のレベルである160万に戻るであろうと述べた。実質上、リビアの全ての石油は輸出されている。国際石油企業グループの代表は、リビアの油財を採掘するのに一番良い方法は、現地の経営者とパートナーを組むことだといわれてきた。この国の法律は、外国の石油会社が現地の経営者との合弁事業で65%までを所有することができる。
FTSE250種のヘリテージ石油は、英保守党へ献金し、以前傭兵であったトニー・バッキンガムによって経営されている。この会社はガダフィ政権が崩壊したあと、サハラ・オイル・サービシーズ・ホールディングの株51%を1900万ドル(1190万ポンド)で購入することによって、先月リビアの石油市場にガダッフィ政権崩壊後、一番乗りで参入した。
今週ガーデイアン誌は、バッキンガムが保守党議員候補であったクリスチャン・スィーテイングにリビアでの足場を築く手助けを求めていたらしいことを明らかにした。
国際ビジネスがリビアの市場に参入することを援助するために設立されたコンサルタント会社の取締役、タレク・アルンは、この北アフリカの国が石油とガスだけでなく、建設でも「膨大な機会」を提供していると述べた。
FTSE250種のヘリテージ石油は、英保守党へ献金し、以前傭兵であったトニー・バッキンガムによって経営されている。この会社はガダフィ政権が崩壊したあと、サハラ・オイル・サービシーズ・ホールディングの株51%を1900万ドル(1190万ポンド)で購入することによって、先月リビアの石油市場にガダッフィ政権崩壊後、一番乗りで参入した。
今週ガーデイアン誌は、バッキンガムが保守党議員候補であったクリスチャン・スィーテイングにリビアでの足場を築く手助けを求めていたらしいことを明らかにした。
国際ビジネスがリビアの市場に参入することを援助するために設立されたコンサルタント会社の取締役、タレク・アルンは、この北アフリカの国が石油とガスだけでなく、建設でも「膨大な機会」を提供していると述べた。
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